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「非リア充」心にしみる過去からの言葉ー葉隠より

投稿日:2015年10月29日 更新日:


 心の内に秘めることこそ本来の日本人が持つ美徳である。恋愛においてもそうであり、「愛している」や「好きだ」とか自己の感情をさらすのではなく、心に秘めることこそ真の恋なのである。そして、それを「非リア充」は体現している。しかし、何かを得れば何かを失う。「非リア充」は秘める恋を実践している一方で、心に大きな傷を負ってしまっているのだ。それを癒す言葉はあるのか?

恋の至極は逢わぬこと

 「心に秘めることこそ真の恋」だと、約300年前に山本常朝喝破している。山本常朝は、あの「葉隠」の著者である。

 「葉隠」は、「新篇葉隠」によると、「『武士道の聖典』とされており、激烈な狂気を例産している一方で、きわめて常識的な処世の知恵をも教えている『人生の指南書』」でもある。

  そう、「葉隠」は人生の指南書でもある。そして、それは恋愛の指南にも及んでいる。それが、「恋の至極は逢わぬこと」(新篇葉隠による)という一節である。その一節を下記に記述する。

 「先ごろ、集まった人たちに話したことだが、恋の極まるところは、心に秘めた恋であると見きわめた。叶えてしまえば、それだけのことで、つまらないものになってしまう。一生、心に秘めて焦がれ死にすることこそ、真の恋であろう。歌に、『恋死なむ後の煙にそれと知れ 終ひにもらさむ中の思ひを』とある。私がこれこそ至上の恋であろうといったところ、感心した人たちが四、五人いて、『煙仲間だな』ということになった」

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山本常朝から非リア充への言葉

 この言葉は、山本常朝から、我々 つまり「非リア充」への言葉なのではなかろうか? 

 この一節は、山本常朝自身を納得させるものでもあり、武士という社会でうまくいきていくために必要な生き方を示している。

 武家では、恋愛からの結婚はなかったし、それが当たり前であった。武家は家同士で話し合って結婚を決めていた。そして、自由恋愛による結婚を現代日本人が当たり前であるとするように、その当時の武士にとって、家同士で話し合って結婚を決めるのは当たり前であった。

 山本常朝についてもそれは例外ではない。そういった武家の掟の中で優先させるべきは自己であるはずがない。「心に秘めて焦がれ死にすることこそ、真の恋」と言い切った方が、武家社会の中でうまく生きられるし、自己を納得させられる。

 そうこれは、自己の恋愛より優先させるべきことがある中で、山本常朝が語った言葉なのである。

 なぜ、これが我々「非リア充」への言葉なのか? 「非リア充」は、武家社会に生きているわけではない。確かに、武家社会に我々は生きているわけではない。しかし、現代日本社会にも生きていく為の掟があることには変わりない。

 そう、「非リア充」には、自己の恋愛よりも優先させるべきことがある。それは、社会から抹殺されないことだ。「リア充」は、どんなに恋愛をしても正当化されるし、社会的に許される。しかし、「非リア充」はそうではない。学校という社会の中で「非リア充」が恋愛をしようものなら、彼はそこから抹殺されるであろう。学校という社会を出た後も「非リア充」は恋愛にうつつをぬかしてはいられない。恋愛にうつつをむかしていては社会で自己を守れないからである。「非リア充」は、「リア充」が社会を悠々と泳ぎ さらに恋愛をしているのを横目に見ながら、自己を守るだけで精いっぱいなのである。

 そんな我々にこの一節は、ひどく心にしみる。「非リア充」は、社会から抹殺されないために秘める恋を体現している。これはキツイ。だが、武家社会を生き抜く中で自己を納得させるために、心に秘めて焦がれ死にすることこそ、真の恋と約300も前の人間が語っていると思うと、美徳であると強がり、自己を守るために負っている心の傷が少し癒される。

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