私的ネタ

「非リア充」異性怖い病罹患

投稿日:2015年10月19日 更新日:


 「異性怖い病」、これは「非リア充」なら、誰でも経験したことと思う。以下には、「異性怖い病」にかかってしまった私の経験を記述していく。

 小学生時代、私は割と異性とコミュニケーションをとれていた。こちらから話しかけることもあったし、あちらから話しかけてくれることもあった。つまり、日常の何気ない会話を女子と交わすことができていた。「消しゴム落ちたよ」、「ありがとう」とか「算数のここ教えてくれる?」、「それはね~」とか、そういう何の変哲もないごくごく普通のありふれた日常的な会話が小学生時代には気が付かないほど近くにあった。

 小学生時代の私にはそんなものは当然だと思っていたに違いない。そんなものはごくごく普通のことでなくなるなんてことはない。なくなるときには、この世に女子なるものがいなくなるときだ、とか考えていたに違いない。しかし、全てこの世のものは無常である。形があるものも ないものも、全ては変化してしまう。生あるものはいずれ死を迎えるし、出会ったころに持っていた情熱的な愛情も時を経ると、冷めたり落ち着いたりする。小学生時代の私はそんなことも分かるはずもなく、この当たり前のことが永遠に続くと思っていたのである。私がその頃の自分に言えることがあるとすれば、「春を楽しめ」という一言のみである。

 中学時代、世の中は闇に覆われていた。私は、「異性怖い病」に罹患してしまった。「異性怖い病」は、恐ろしい病気である。一度罹患してしまえば、それは何年、何十年と患者を苦しめる。症状は、さまざまである。異性と接するとき、挙動不審になる。異性と話せない。話したとしても日常会話にならない。異性とは0か100でしか接せない。そもそも異性と接せない。軽い症状のものから重度のものまでいろいろである。私の症状としては、挙動不審・日常会話にならない・0か100か、と多くの症状に罹ってしまった。

 異性と話すときは挙動不審であった。これは、相手が異性であるという意識を極度に持ってしまうために緊張していたのだと思う。相手の目は見れないし、愛想笑い的な表情だし、会話は「ああ」とか「別に」が多いし、これでは相手は不審に思う。日常会話にもならなかった。これも相手を意識しすぎていたからだと思う。こちらから話かけるのは、業務的なことだけだったし、相手から話しかけられても「ああ」とか「別に」が多く会話にならなかった。今から考えてみると変なことだし、相手に申し訳ない気がする。そして、異性とは0か100かでしか接せなかった。好きな子と話すときには100なんだけど、それ以外は0という非常にまずい接し方だった。要するに、自分が緊密な関係を結ぼうと考えている相手には接しようとする努力をするが、それ以外とはしないという意味。これはひどい。しかも、中学時代には好意を持った相手でも緊張しすぎてほとんど接しなかった。

 このように「異性怖い病」は非常に怖い病気である。罹患した人の人生からうるおいを奪い去っていく。そして、先にも言ったようになかなか治らない。高校時代にも多少挙動不審は治ったが、同じような症状に悩まされた。大学時代になると、挙動不審や日常会話にならないは結構改善したが、0か100かという症状は治らなかった。好きな人物としか接するという努力をしなかった。私の場合、大学時代に好意を持った人物は一人しかいなかったので、その一人としか接するという努力をしなかった。ひどい人間である。社会人になってからはそういうわけにはいかないので、これは多少改善されたと思う。しかし、やはりなかなかくせは抜けない。人間、なかなか変われないものである。

 どうだったであろうか? 自身に経験がおありだろうか? 経験があると感じた方は「非リア充」である確率が高い。そうでない方は、「リア充」であろう。「異性怖い病」というのは本当に恐ろしい病気である。私は、この病の治療薬が早く開発されることを望む。地球に水があると様々な利点があるように、異性と接すると様々ないいことがある。それを失うことは人生のうるおいを失うことに等しい。おそらく、寿命も縮むであろう。もしかしたら、肥満より恐ろしい病かもしれない。「非リア充」にも愛のある薬を。

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